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1814年、フランス・ノルマンディー地方の農家に生まれる。19歳で肖像画家に師事し、23歳の時にはシェルブール市の奨学金を得てパリのエコール・デ・ボーザールで学び、巨匠ポール・ドラローシュに師事した。
1849年、35歳の時にコレラ禍を逃れてパリ郊外のバルビゾン村に移住。農民の生活や自然と共に生きる人々の姿を神聖かつ叙情的に描き続けた。同じくバルビゾン村に移り住んだルソーやコローらとともに「バルビゾン派」の代表的画家に数えられるが、ミレーはとりわけ農民の日常に深い精神性と尊厳を見出した。
ミレーの作品は、大地と結びついた人々の労働を、まるで宗教画のような崇高な次元へと引き上げた。その芸術性は、《種まく人》や《晩鐘》、そして《落穂拾い》といった代表作において示されている。
生前は長く貧困や批判に苦しんだが、その揺るぎない芸術哲学と詩情豊かな画面構成は、後にゴッホやダリら、多くの画家に多大な影響を与えた。
オルセー美術館(パリ)、ルーヴル美術館(パリ)、ボストン美術館、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、山梨県立美術館など。
1833年、フランス・パリに生まれる。アングルの弟子ギシャールに師事し、独学で習得した銅版画において類まれな才能を発揮した。1862年(29歳)に「腐食銅版画家協会」の創立メンバーとなり、エッチング技術の再興と普及に大きな役割を果たした。
印象派の画家たちと深い親交を持ち、1874年の第1回印象派展にも出展。マネやドガ、ピサロらとは特に関係が深く、彼らに版画技術を伝授した。また、日本から送られてきた陶器の梱包材の中にあった『北斎漫画』を発見してその価値をいち早く見出し、印象派の仲間たちに熱狂的に伝えたことで、フランスにおける「ジャポニスム」の火付け役となったことでも知られている。
ミレーより19歳年下であったブラックモンは、ミレーの作品や芸術性を高く評価し、原画を基にした精緻な版画(エッチング)を制作した。写真技術がまだ普及しきっていなかった当時、ミレーの重厚な線描と深い精神性を精緻に再現したブラックモンの版画作品は、偉大なる農民画家の芸術を広く世界へ普及させるための大きな役割となった。
オルセー美術館(パリ)、大英博物館(ロンドン)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、国立西洋美術館(東京)など。