片岡球子 (Tamako Kataoka) 1905-2008
教師と画家の二足のわらじと「院展」での挑戦
1905年、北海道札幌市に生まれる。1926年(21歳)に女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科を卒業し、横浜市大岡尋常小学校(現・市立大岡小学校)の教諭となる。教師として働きながら画業を継続し、1930年(25歳)に再興第17回院展へ『枇杷』を出品して初入選を果たした。
型破りな画風と絶対的な信念
片岡球子の作品は、従来の日本画の概念を打ち破る力強い線と鮮烈な色彩による大胆な画面構成を特徴とする。「面構(つらがまえ)」シリーズや「富士山」の連作に代表されるように、対象の本質を鋭く捉えたエネルギッシュな作風は、見る者に強烈な印象と生命力を感じさせる。一部からは型破りな表現だと批判されながらも、己の信念を貫き、確固たる独自の美の世界を築き上げた。
1952年(47歳)に日本美術院同人に推挙され、1955年(50歳)には大岡小学校を退職して女子美術大学日本画科の専任講師となった。さらに1966年(61歳)には愛知県立芸術大学の主任教授に就任し、後進の指導と日本画壇の牽引に大きく貢献した。
数々の最高栄誉と100歳を超える創作への情熱
その圧倒的な功績から、1976年(71歳)に勲三等瑞宝章を受章。1986年(81歳)には文化功労者として顕彰され、1989年(84歳)に文化勲章を受章した。2001年(96歳)には『画業80年 片岡球子展』が開催され、日本橋高島屋を皮切りに横浜、京都、名古屋を巡回し、多くの人々を魅了。100歳を超えてもなお筆を握り続けたが、2008年に享年103で逝去した。
主な作品収蔵先
北海道立近代美術館(出身地)、神奈川県立近代美術館、愛知県美術館、横浜美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館など。

