青と黄色が魅了する穏やかな風景画
ゴッホが南フランス、アルルに移ってから間もなく描いたラングロワ橋。跳ね橋をモチーフにした作品は数点残されていますが、こちらはその中でも最も有名な一枚です。
原画はオランダのクレラー・ミュラー美術館に所蔵されています。
アメリカ・ロサンゼルスの工房Studio Art Flag制作による版画。横幅82.5cmの大きな額縁サイズの作品です。やさしい青と黄色が美しく再現され、ゴッホの魅力を存分にお楽しみいただけます。
作品仕様
- 技法
- ピエゾグラフ
- 限定
- 350部+EA(PP)50部
- 画寸
- タテ 44 × ヨコ 54.5 cm
- 額寸
- タテ 72 × ヨコ 82.5 cm
- 制作
- 2021年、Studio Art Flag (アメリカ・ロサンゼルス)
- サインなど
- 画面右下に摺師(すりし)サイン
- その他
- 画面左下に版元の品質検査委員会エンボス、中央に版元のエンボス、額裏に版元による証明書貼付
Studio Art Flagとは
アメリカ・ロサンゼルスの版画制作スタジオです
シルクスクリーン、リトグラフ、ジグレー、ピエゾグラフなど多様な版画作品を作っています。作品の用紙選びから、刷り上がりまでを一貫して手掛けている工房です。
象徴的な「LOVE」を生み出したロバート・インディアナやアメリカ現代美術の巨匠ドナルド・サルタンなど、多くのアーティストの作品制作を経験してきたNijel Barnsの指揮のもと、優れた摺り師たちが制作しています。
原画について
ゴッホ「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」
画寸:タテ 54 × ヨコ 64 cm
技法:カンバスに油彩
制作年:1888年
所蔵:クレラー・ミュラー美術館(オランダ・オッテルロー)
原画についてのまめ知識
ゴッホは、運河にかかる跳ね橋に母国の風景を重ねていたと言われています。残念ながら、描かれたラングロワ橋は現存していませんが、復元されて、もともとあった場所から少し離れたところに再現されています。
浮世絵で見た光あふれる日本の風景を求めて、1888(明治21)年2月にゴッホはパリから南フランスのアルルに拠点を移しました。「アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)」が描かれたのは、それからすぐの3月です。ダイナミックな構図、明確な輪郭線、鮮やかな色彩に、歌川広重などの浮世絵の影響を見ることができます。
フィンセント・ファン・ゴッホ (Vincent van Gogh) 1853-1890
27歳からの出発とパリ生活
1853年、オランダ南部ズンデルトで牧師の次男として生まれる。伯父が営む名門画廊の店員、教師、説教者など職を転々とした後、27歳という遅いスタートで画家になる決心をする。1886年に画商の弟テオを頼ってパリに出て、当時の芸術家たちと深く交流。印象派の明るい色彩や、浮世絵の斬新な構図に強い影響を受け、独自の画風を模索し始める。
南仏アルルでの理想と苦悩
日本文化と日本人に理想の姿を重ねたゴッホは、1888年、さらなる太陽の光を求めて南仏アルルにアトリエを構える。画家たちを集めた芸術家共同体の設立を夢見るものの、親友ゴーガンとの共同生活はわずか2ヶ月で決裂。その後、精神を病み、入退院を繰り返す苦難の日々を送ることになる。
活動期間と驚異的な制作スピード
37歳という若さで世を去り、画家としての活動期間は約10年間と極めて短かったが、その情熱は凄まじく、油彩約800点、水彩・素描など約1,000点を遺した。特にアルルでの15ヶ月間には約200点もの作品を制作。現在「傑作」と称えられる作品の多くは、晩年のわずか2年半(1888年2月?1890年7月)という驚異的な短期間に生み出されたもの。その圧倒的な色彩と荒々しい筆致は、《ひまわり》や《星月夜》といった美術史に燦然と輝く代表作において最も成熟した形で示されている。
美術史における確固たる評価
生前は1枚の絵しか売れなかったと言われており、37歳の若さで自ら命を絶つという最期を遂げたことから、「悲劇の画家」と語られることも多い。しかし、うねるような筆致と強烈な色彩で人間の内面や生命のエネルギーを表現したその作品は、フォーヴィスム(野獣派)や表現主義など20世紀の近代美術に決定的な影響を与えた。孤高の魂がカンヴァスに刻み込んだ情熱の軌跡は、今もなお世界中の人々の心を強く揺さぶり続けている。
主な作品収蔵先
ゴッホ美術館(アムステルダム)、クレラー・ミュラー美術館(オランダ)、オルセー美術館(パリ)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、SOMPO美術館(東京) ほか









