池田満寿夫 「恩地孝四郎へのオマージュ」 オリジナル銅版画(メゾチント)
※恩地孝四郎(1891-1955)は創作版画の先駆者のひとり。日本の抽象美術の創始者とされています。
作品仕様
技法 | メゾチント(銅版画) |
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画寸 | タテ 15 × ヨコ 10.8 cm |
額寸 | タテ 42.3 × ヨコ 34. cm |
サインなど | 作家直筆サインあり |
限定 | 55部 |
制作年 | 1975年(昭和50年)、レゾネNo.612 |
その他 | 額付き |
池田 満寿夫(いけだ ますお) 1934-1997
- 1934年 旧満州奉天生まれ
- 1945年 両親の故郷である長野市に移る
- 1951年 第1回全日本学生油絵コンクールでアトリエ賞受賞
- 1960年 第2回東京国際版画ビエンナーレ展で文部大臣賞受賞
- 1961年 第3回東京国際版画ビエンナーレ展で東京都知事賞受賞
- 1964年 第4回東京国際版画ビエンナーレ展で国内大賞にあたる国立近代美術館賞受賞、ニューヨーク近代美術館が版画24点を買い上げ
- 1965年 ニューヨーク近代美術館内で日本人画家ではじめて個展を開催
- 1966年 ベネチア・ビエンナーレ展版画部門国際大賞受賞、棟方志功に次ぎ日本人では2人目の快挙
- 1977年 小説『エーゲ海に捧ぐ 』で芥川賞受賞
1984年頃から陶芸に没頭し、1993年には山梨県増穂町に『満寿夫八方窯』を築窯。ピカソをはじめ、尊敬する多くの西洋作家の刺激を受けて、自由奔放で変幻自在に作品を制作。そのマルチな才能により画家・版画家だけにはとどまらず、作家・彫刻家・陶芸家・脚本家・写真家としても幅広く活躍した。
【ぶっく_あーと】つながるインフォメーション
池田満寿夫 「恩地孝四郎へのオマージュ」 オリジナル銅版画のタイトルに登場している恩地孝四郎(1891-1955)は創作版画の先駆者のひとりです。18歳のときに竹久夢二と出会い、画家を目指して東京美術学校予備化に入学。23歳で、田中恭吉、藤森静雄とともに詩と版画の同人誌『月映』を創刊しました。
萩原朔太郎の詩集 「月に吠える」 などの装填を手がけたことでも有名です。
木版画だけでなく、油彩・水彩・写真などで自らの心のうちを表現し、様々な分野で才能を発揮しました。日本の抽象美術の創始者とされています。
読むと、つながる。読むと、深まる。
版画、 「あいだ」 の美術
松山 龍雄 (著)
【内容紹介より】
明治期文明開化の浮世絵から、近代の 「創作版画」 の誕生、そして戦後版画の復興、さらに 「現代版画」 の黄金時代へと続く日本の近現代 「版画」 の展開を、豊富な図版とともに丁寧に解説しています。棟方志功や池田満寿夫らの国際的な活躍とは何だったのか、そして近年人気の高い川瀬巴水や吉田博の木版画の魅力とは?